松山空港
Matsuyama Airport
- 住所〒791-8042 愛媛県松山市南吉田町
- 開業年1961年
- IATA 3レターMYJ
- URLhttps://www.matsuyama-airport.co.jp/
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松山空港
Matsuyama Airport
松山空港について
松山空港は1943年に海軍航空隊の飛行場として開設されて、終戦後1961年より国内線の運航を開始しております。中国地方&四国地方の空港としては最多の旅客数になります。
2024年7月現在は札幌、東京(羽田、成田)名古屋(中部)、大阪(伊丹)、福岡の経済圏を始めとし、鹿児島やレジャーでも多い沖縄に路線を増やしております。
柑橘王国として名高い愛媛県にある空港らしく旅客ターミナル内には旬の柑橘類を丸絞りしたジュースを販売してくれるショップや愛媛県のグルメを集めたレストランなど充実した設備になります。
就航航空会社(国内線)
空港内の設備
施設・サービス案内
フロア案内 1階、2階、3階
買う
食べる
レストラン・カフェ一覧
各種サービス
送迎デッキ、無線LANエリアなど
お手伝いが必要なお客様
バリアフリートイレ、AEDなど
ビジネス・ラウンジ
空港へのアクセス方法
主要交通機関でのアクセス
リムジンバス/JR松山駅より約15分、松山市駅より約20分、道後温泉より約40分
県内各地からのアクセス
今治市、西条市、新居浜市、四国中央市など
県外各地からのアクセス
香川県、徳島県、高知県など
駐車場
第1、第2、第3駐車場を含めて1803台駐車可能
周辺情報
坂の上の雲ミュージアム
(松山市一番町)
司馬遼太郎著「坂の上の雲」の主人公であり、松山が生んだ偉人でもある、「秋山兄弟」と「正岡子規」に関連する展示品を中心に、「坂の上の雲」の世界に案内してくれるミュージアムになります。当時の日本と登場人物達が歩んだ道を、原作を読んでいない人でも豊富な展示品などから分かりやすく学ぶことが出来ます。
内子町の芝居小屋「内子座」
(喜多郡内子町)
内子座は、木蝋や生糸などの生産で栄えた1916年に芸術や芸能を愛好する人々が建てた芝居小屋です。木造2階建て瓦葺き入母屋作りで、回り舞台や花道、枡席などを整えた劇場で芝居などが盛んに公演されました。その後映画館などに改装、最後は老朽化のため取り壊されるところ、町並保存事業に連動し1985年に約2年かけ復元、同年10月劇場として再出発を果たしました。今では、町内外の芸術文化活動の拠点として活用されています。2016年には創建100周年を迎えました。
愛媛県立とべ動物園
(伊予郡砥部町)
1988年に道後動物園を拡張するために移転して開園しました。西日本屈指の規模を誇る園内には、約180種1,000頭もの動物が生息地や種類ごとに10のゾーン(アメリカストリート、ウォーターゾーン、スネークハウス、ベアストリート、リトルワールド、アジアストリート、オーストラリアストリート、モンキータウン、アフリカストリート、ゾウストリート)に分かれ展示されております。
園内は自然の地形を利用してつくられ、柵や檻をできるだけ使わない段差や堀を利用した立体感のあるパノラマ展示が特徴で、自然に近い動物たちの姿を見ることができます。
お勧めグルメ
じゃこ天
(八幡浜市、宇和島市など)
宇和海から豊富な魚がとれる八幡浜市や、宇和島市などでは、魚の加工品づくりが盛んで、その代表的なものに「じゃこ天」があります。主な原材料は宇和海で水揚げされた魚たちになり、そのなかでも名前の由来にもなったホタルジャコという魚から作られたものがじゃこ天の名前の由来ともいわれています。食べ方としてはそのままでも十分おいしいですが、網やフライパンなどであぶると一層おいしさが増します。
製品自体の始まりは初代宇和島藩主が故郷の仙台を偲んで蒲鉾職人を呼び寄せ作らせたことからといわれております。
鍋焼きうどん
(松山市)
松山のソウルフードとして、昔から地元住民に親しまれている「鍋焼きうどん」。特徴は土鍋ではなくアルミの器で提供されること、甘めの出汁で煮られた柔らかい麺になります。まだ甘いものが貴重だった戦後すぐに誕生し、今でも当時の味を守り続けております。アルミ鍋が使われるのは物資の乏しい時代に丈夫で、長持ちすることから使われてきたと言われてます。
鍋焼きうどんと言えば冬をイメージされる方が多いですが、松山では暑い夏を含めて1年中食されており、当たり前の風景になります。
今治焼豚玉子飯
(今治市)
今治市民に愛される絶品丼は、下からご飯、焼豚、半熟卵をのせ、コショウをふり、甘辛いタレをかける“シンプルイズベスト”な出で立ち。やわらかいチャーシューとトロッととろける玉子の黄身が、甘めのタレとともに口の中で絡み合います。ボリューム満点なのは、元々とある中華料理店のまかない飯として作られていたからなのだとか。その後、独立した店主が「今治焼豚玉子飯」としてメニュー化したと言われています。